「無敵なヤツ」は実は、

「無敵なヤツ」この話は、無敵なヤツがいれば、

戦争を無くせるのではないかと考えて、書き始めた。

戦争好きの指導者をとっ捕まえて、戦争を止めさせる。

無敵なヤツになら出来るだろうと考えた。

書き進めるうちに、少しずつ思ったように話が進まなくなる。

そして、無敵なんだけれど、逃げ回る事になる。

戦争をする人達が、話など聞くはずが無いとか、

無敵なのはヤツだけだから、ヤツが誰も傷つけたくないのなら、

無敵だけれど無力かもしれないと思い始めた。

結局無敵なヤツは、役立たずなヤツで終わる話しになってしまった。

平和をもたらすのは、武器を捨てさせる事ではなく、

戦う必要をなくす事しかないのかなと思った。

問題は戦争そのものではなく、その原因とか理由の方だから、

原因を取り除かなければ戦争はなくせないだろう。

なのに戦争を止めろとだけ叫んでも無意味だし、きっとうるさいだけだ。

無敵なヤツは、そんなうるさいだけの平和主義者のような存在に思えてきた。

妄想癖。

最近物語を書いていると、時々楽しくなってくる。

絵が好きな人が、絵を書いていて楽しいというのと同じような感覚ではないかと、

ふと思った。

自分の頭の中にある妄想とか、思考とか、感情とかを、

絵が好きな人は絵にするし、音楽が好きな人は音にする様に、

物語好きの私は、文章にする。

だから、決してお金を稼ぐ事が目的ではないと、自分に言い訳する。

出来ればお金も稼ぎたい。

絵が好きな人は画家になりたいだろうし、音楽好きは音楽家になりたいだろう。

それと同じで作家になりたいと思うのは自然な事と思う。

才能のある無しは関係ないのだと、好きな事で稼ぎたいだけだという気持ちだ。

昔から、いろいろと妄想するのは好きだった。

妄想した事を何かで残したいとは思っていた。

しかし、最近まで妄想を書き出しても、物語にならなかった。

物語の背景説明文で終わったり、主人公の特徴の説明だったり、

気持ちの表現だけで、そこから物語に仕上げる方法が分からなくて、

短いショートショートの作品さえ書ききれなかった。

それが、長年の修行の成果か、

最近やっと何とか物語らしきものが書ける様になったと思っている。

まだまだ修行不足と言われるかもしれないけれど。

書き出すとづぎづき書きたくなる。

そして、自分の中の妄想を書くことで吐き出し、

吐き出す事で新たな妄想が生まれる事に気付いた。

妄想は吐き出さないと、自分の頭の中でいつまでもぐるぐると回り続けて、疲れてしまう。

文書にして書き出してしまうと、頭の中をぐるぐる回るのが止まり、

すっきりして、次のことが考えやすくなる。



 

恐怖症3.

昔は、作文恐怖症だった。

小・中学校の頃一度も作文を提出した事が無い。

授業中に書く場合も、宿題で書く場合もだ。

そして、作文の宿題でなくても、何かの意見とかでも、

文書を書いて提出できた記憶が無い。

授業中に書かされる場合は、授業中何も書かない訳にいかないから、

数行は書いた覚えはあるが、その後が書けずに宿題になり、

そのまま教師が忘れてくれるまで我慢強く、提出を拒否し続けた。

作文を提出しなかった理由はいろいろあると思う。

何を書いて良いか分からなかった。

字が下手で汚かったから恥ずかしかった。

自分の考えを知られるのが恥ずかしかった。

漢字が苦手だから、漢字の間違いや簡単な漢字が分からない事の恥ずかしさ。

何より教師が信用できなかった、必死で書いても馬鹿にされるだけだと思った。

実際出来ない生徒を馬鹿にしているような教師ばかりだった気がする。

子供の頃作文は恐怖の対象だった。

大人になり、仕事で日報とか週報とか、毎日毎週自分がどんな仕事をしたかを、

文書で報告しなければならなくなった。

報告しなければ、叱られるし出世も出来ないから、辞書を片手に何とか書き始めた。

出張すると出張報告書、講習会を受講すればその報告書を提出しないと、

経費が下りなかったりして、何とか書くようになった。

そして、パソコン・ワープロが普及し、報告書などは手書きから、

全てワープロになり、字の汚さや、漢字の間違いに恥ずかしい思いをしなくて良くなった。

そして、文章を書く事に慣れると、取引先との定例会議で、会議録など速記で手書きして、

その場で承認のサインをもらいコピーして互いに持ち帰るという、

以前なら恥ずかしくて出来るはずの無かった事まで出来るようになり、

作文恐怖症は克服できたみたいだ。



恐怖症2.

鉄棒で一番簡単なはずの前回り恐怖症だ。

小学校の2年生ぐらいの時には前回りが出来て、

鉄棒のテストはそのとき合格したので、

授業で前回りをしなければならない場面に遭遇する事はなくなったのだが、

いつも小学校の頃は、前回りをやらされたらどうしようと怖がっていた。

小学校の2年のある日の昼休み、鉄棒の自主練習中に、

前回りで一番手を離してはいけないときに、

体が完全に鉄棒の真下に有って、手の力で鉄棒にぶら下がっている瞬間に、

ふと、手の力を抜いたらどうなるのだろうと思ってしまった様に思う。

突然手の力が抜けて、手を離し、地面に背中から落下して、

むちゃくちゃ痛くて、でも1人だから泣かないで、地味に教室に戻った覚えがある。

ただし、小学校の2年生だったのかどうか、

昼休みだったのかどうかは、記憶があいまいだ。

それ以来鉄棒で前回りが出来なくなった。

その後、鉄棒の授業では、逆上がりになったので、

何度か練習して、逆上がりは出来るようになったし、

その後の小学校の授業での鉄棒は何とかこなしたが、

今もたぶん前回りは出来ない。

やらされる事もないけれど。

もっとも、今は肩が痛くて、ぶら下がるだけで精一杯で、

逆上がりなどとんでもない状態だ。



恐怖症。

高所恐怖症です。

かなり怖がりです。

だけど、負けん気も強くて、

何度も高い所に挑戦しました。

子供の頃は、木登りとか、崖登りとか、

さらに、屋根からの飛び降りにも挑戦しました。

高所恐怖症だけど、

平屋の建物の屋根ぐらいの高さは大丈夫です。

平屋の建物の屋根から何度も飛び降りたので、

飛び降りられる高さという感じが記憶されたのでしょう、

2メーターちょっとの高さまでなら平気になりました。

しかし、それを超えてたぶん3メーターくらいになると、

とてつもなく恐怖します。

2階のベランダは怖くないのに、

3階のベランダは怖くて足がすくみ、

動けなくなったりします。

高所恐怖症だったから、高いところに登りたがり、

しかし登れずに、恐怖を募らせて、その恐怖に打ち勝とうとして、

再び高いところに挑戦し、途中で恐怖で動けなくなり、

さらに恐怖を募らせて、

より高所恐怖症になって行ったような気がする。

昔は仕事で高い所に登らなければならなくて、

泣きそうになったことがある。

泣かなかったけれど。

最近はそんな仕事はないので助かる。


政権交代。

選挙期間中の、ある政党のテレビCMの言葉が嫌いだった。

「まず、政権交代。」

政権交代は方法でしかない、目的ではない。

政権交代などどうでもよい、それは政治家の目標だろうと思う。

政権が変わる事ではない、世の中が良くなる事を望んでいる。

良くなるという事が、どういうことかが意見が分かれ、

政治家を選ぶ基準や理由が変わるのだと思う。

投票では、世の中をどのようにしたいと思っているのか、

それによって政治家を選びたいのに、

政治家は自分の信念すら正直に語ろうとしないし、

ましてや我々が望む事ですらない事を、最も重要な目標のように、

「まず、政権交代。」だなんて、

国民の事ではなく自分たちのことを優先している証拠に思える。

政権交代する事になりそうだけど、まだ交代したわけではないから、

交代したとは言うべきじゃない気がするので、あえてなりそうと言うが、

衆議院は安定過半数を獲得している民主党だけど、

参議院は過半数に達していない。

民主党単独でも予算などは可決成立できるけれど、

その他いろいろな法律を可決するには、

別のどこかの政党か無所属の人に賛成してもらう必要がある。

その為に少人数の政党が、大きな権力を持つかもしれないのが、

何となく嫌だ。

せっかく政権交代するのだから、思ったとおりの政策を実現してもらいたい。

小さな政党の顔色を伺いながら、中途半端で終わって欲しくは無い。



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