手段と目的

目的と手段が逆になってしまっている人が、結構いると思う。

「人生の目的は、自分が幸せになること」と言うと、

わがままで自分勝手で個人主義的だとか利己的だとかと、

間違った批判をされる事がある。

「人生の目的は、人の役に立つこと」と言うと、

良い考えだ、立派な考えだと、間違った評価をする人もいる。

しかし、「人生の目的が、人の役に立つこと」であるなら、

人の世話にばかりなっている人に、生きる意味は無いというのだろうか。

「人生の目的は、自分が幸せになること」そして

「自分が幸せになる手段は、人の役に立つことや、人を幸せにする事」

なのだと思う。

目的が世の中の役に立つことで、

手段が自分を幸せにすることに、

なってしまっている人がいる。

世のため人のためとか、街のため国のためとか、

会社のためとか言いながら、自分のためというのを隠している。

自分の世の中のためであり、自分の街のため、

自分の会社のために働いて、結局自分が良くなる事ばかりしている。

「情けは人のためならず」は情けをかけても人のためにならないではなく、

情けをかけるのは、他人ではなく自分のためですよという格言だ。

目的は自分が幸せになることと自覚し、

手段として世のため人のために働くのが正しい考え方だと思う。

アルコール依存症になっている?

アルコールの罠にはまっている。完璧に。

暫らく飲んでいないと、2日くらい飲んでいないと、

酒が美味しい物として認識され始める。

飲んだ翌朝は、酒は良く無い物だと知っているのに。

だんだんと、酒を飲みながらの食事は美味しいと考え始める。

酒を飲んだ日やその翌日には、

酒を飲まずに食事した方が美味しいと分かっているのに。

三日目四日目を過ぎると、酒を飲む言い訳を探し始める。

少しぐらい飲んでも大丈夫。

一軒だけで止めれば問題ない。

酒を飲みながらのつまみが人生唯一の楽しみ。

酒なくして、何の人生だ。

酒のせいでそう思わされていると知っているのに、

言い訳を探す。

これが、アルコール依存症の症状だ。

そして、少し飲むと、自分が満足できるまで飲み続けるという、

アルコールの陰謀にはまってしまう。

分かっていながら、誘惑に勝てない。

ダメダメ、勝てないと思う気持ちが、アルコールの罠だ。

勝てないからたまに飲もうとする。

こんな事を考えてしまう事こそが、アルコール依存症の証拠だ。

そして、年末年始は、酒を飲む言い訳が多すぎる。

テレビの言う事など。

昨日、朝のテレビで、雪国の、地方のゼネコンが、

除雪の仕事で困っていると言っていた。

雪の日にだけ除雪の作業があり、その為に一年中作業員を確保しておかなければならず、

人件費がかさむなどと言っていた。

しかし、ものの見方が間違っていると思った。

そもそも、雪が降ると仕事にならない地方だから、

雪が降ったときにも人を雇い続ける為に、除雪の仕事を始めたのではないか思う。

除雪の為に人を雇ったというのはおかしいと思うが、違うのだろうか。

行政は、冬場に雪で仕事の無いゼネコンに、

仕事を供給する為に除雪の仕事を振っているのだから、

除雪の仕事でゼネコンを困らせているかのような報道の仕方は、

行政を悪者にする為の、歪めた報道だろうと思うのだが、どうなのだろう。



最近の与党や政府は、

国民の思いとか国民の総意とかで政策を決めたように言っているけれど、

単純な見方をすれば、そして本当に国民の意見を沢山、分け隔てなく聞いているのならば、

国民の味方、国民本位の政府ですよと受け取る事も出来なくは無い。

しかし、彼らが意見を聞くのは、自分達に味方する人の意見だろうし、

せいぜい世論調査やアンケートの様ないい加減なものによるのだろうから、

それで国民の総意だとか言って欲しくない。

そして、見方を変えるならば、

もし政策が失敗したら、国民の判断が間違ったという事にするつもりだろうかと思う。

さらに、国民は経済の専門家でも政治の専門家でも無い人がほとんどなのだから、

分からないからこそ、専門家である政治家に政治を任せているはずだ。

なのに、国民の意見で決めますと言うのは、無責任極まりないと思う。


都会の暖かさ。

中野に劇場HOPEとテアトルBONBONが新しく出来て、

中野に行く機会が増えている。

先日初めて劇場HOPEに入ったが、まだ劇場自体への花も飾られている状況で、

隣に劇場MOMO、向かいにザ・ポケットと計4劇場でそれぞれ芝居が行なわれていて、

その劇団への花もあったりするし、

それぞれの劇団が入り口に案内係とか誘導員とかを配置していたから、

とてもにぎやかな感じになっていた。

中野には度々出かけているのに、行く度に哀愁を感じる。

昔、中野区に2年間住んでいて、いろいろと楽しい事、嫌な事が有り、

大変思い出深い場所だからだと思うが、

それにしても東京で育ったわけでも無いのに、

東京には懐かしいと感じる場所が多すぎる。

都会は人が冷たいなどと言われることがあるけれど、

私個人の経験からは、都会の東京の人の方が、親切だし他人に優しいと感じる。

ひとつの見方として、地方から出てきて苦労した人や、

そんな人の子孫が多いからではないかと思う。

自分が地方から都会に出てきて苦労した経験があるから、

他所からやって来た人に親切にする。

都会の人の親切さと、地方の人の親切さには、少し違いが有る気もする。

地方の親切さは、よそ者をもてなす親切さ。

東京の親切さは、よそ者を仲間にする親切さ。

東京に住み始めて、暫くバスで通勤していたのだけれど、

不思議に思ったのは、バスの優先席にはお年寄りしか座らない事だ。

それまで住んできた地域では、優先席が空いていれば、誰でも座るし、

座ってしまってお年寄りが来てもよほどの年寄りで無い限り席を譲らない。

東京に来てから電車内では、優先席以外でも、

お年寄りとかに席を譲る人を良く見かける。

それまで住んできた地域では、年に一度が良い所で、

優先席でさえ席を譲るのは見かけなかったような気がする。

ただし、自分の経験だけだから、

場所の違いではなく時代の変化なのかもしれないけれど。

 ある誕生日の日記。 

今日は、何も書く気がしないままに終わってしまいそうだ。

自分の将来の望みも、体調の悪さにかき消されて

楽しい事を考えようとしても、悲観的になってしまう。

○0と○1の違いが大きく感じられる。

このまま消えてしまう方が楽なのか。

苦労して何者かになっても、この年齢からでは何を楽しむ事が出来るのだろう。

65から年金をもらえるけれど、

まじめにきっちり払っていても、とても年金だけでは生活出来そうに無い。

ならば、さっさと消えてしまう方がどれほど良いだろう。

今の歳でも体が言う事を聞かなくなっているのに、

年金をもらう歳ではどうにもなら無い気がするから、

昔あこがれた年金生活は、

今の想像では悪夢のようにも思えてしまう。

視力が落ちては、読書もつらいかもしれない。

今でもテレビを見るだけで疲れるのに、

テレビを見て過ごす事など楽しみになりえない。

ネットも、マウス操作で腱鞘炎気味だ。

肩の疲れと目の疲れ、とても楽しめそうに無い。

考えるだけは出来そうだから、

考えるだけでいろいろな事が出来る様になれば、

まだ望みが感じられる。

それにしても、なぜすぐ腰が痛むのだろう。

気をつけないと。

先日また飲みすぎた。

ただし今回は記憶が飛ぶような急な飲み方はしなかったから、

意識不明な状態にはならなかったのだけれど、

酔っ払って訳分からんメールを送ったり、みょうちきりんな文章を書いたりしていた。

翌朝はもちろん二日酔いで、朝は気持ち悪くて仕方なかった。

しかし、普段話し相手が居ない事もあってか、

飲み始めるとやたらと人と話したくなるみたいで、

他人にも結構失礼な事を言ってしまったりしている様に思う。

とにかく舌がよく回るから、ついつい思いついたことをそのまま、

よく考えずに口にしてしまい、酔っ払っていても、しまったと思うことがある。

たまに、飲み屋に誰かを相手にすることなく1人で、架空の誰かに話をしている人がいる。

たぶん私も、今の症状がひどくなると、そんな感じになってしまう様な気がする。

誰彼無しに話しかけて、うるさがられて嫌われて、

誰も話しを聞いてくれなくなって、それでも話したくて、

架空の誰かを生み出して、架空の誰かに話しかけ、

話し込む。

あれ、この文章もそんな様なものじゃないのか。

危ないぞ、気をつけないと、

電車の中で見えない誰かに話しかけている人になってしまうかも知れない。

政治家について思う事。

相手の立場に立って考えられない強者は、傲慢。

綺麗事ばかり言う政治家は、強者の屁理屈を弱者に押し付けている傲慢な人と思える。

明日の生活が見えなければ、未来の環境の事など考えられない。

だからと言って、景気対策に公共事業を増やしても、

増やしている間の一次凌ぎにしかならない事を良く考えてほしい。

一次凌ぎで借金を増やせば、その後にはもっと酷い不景気が訪れるだけ。

何か景気を良くする経済の構造的変革が必要だと思う。


人の気持ちを逆撫でするような発言をする、

勘違い知事や市長が続出するのは、なんとも嫌な気分になる。

いろいろな事を言うのは言論の自由だけれど、

公人には言論に制約があるというのも常識だろう。

ただの人と違い、権力を有する人には、

その分の義務と責任があるはずだから。

強者の理屈?

私だって同じ経験をしたけれど、ちゃんと乗り越えてきた。

こんな事がいえるのは強い人だからだろう。

強者の理屈だ。

高所恐怖症ではない人に、高い所が怖いという事は、理屈としては理解できても、

高所恐怖症の人が味わう恐怖は決して理解できない。

私だって怖いけど、頑張って登ったでしょうと言われても、

それは強者だから言えること、恐怖心は人それぞれだ。

たとえば、友達が出来なかったりいじめにあった理由を、転校が多かったからと言ったら、

同じように転校が多かった強者は、私だって転校が多かったけれど、

友達はすぐに出来たと言って、理由にならないと言うかもしれない。

しかし、それはやはり強者の理屈だ。

人見知りな人にとって転校は友達作りに致命傷となる場合もある。

誰かに出来たからと言って、誰にでもできると言うのは、できる人の側の屁理屈に過ぎない。

だから、出来ない人を出来ないだけで批判するのは良くないなと思うのだけれど、

つい自分の尺度で人を批判してしまう。

弱い人、弱い事が悪だとすると、かわいそう過ぎる。

そして、おかしなことになる。

弱い事は悪では無い。

人をうらやむこと、人を助けられない事、それが弱さによるものならば、

悪とはいえないだろうと思う。

ふと思うこと。

夏休みの宿題、小学校の6年間一度も提出した事ありません。

こう言うと何か自慢に聞こえるけれど、

出来なかっただけで、叱られるけれど、やれなかったからやらなかっただけだ。

やらない生徒を叱る以外に、教師には何も出来ないから、

結局いつの間にか許されて終わった。

もちろん最初は来週中にとか納期を少しずつ延ばされるけれど、

その度に少しはやろうと思うけれど、

40日以上あっても出来なかったことを、

僅か7日でどうにかできる訳が無いから、やらなかった。

そんな不真面目な子供だったけれど、

大人になって、サラリーマンになったら、

無遅刻無欠勤で結構真面目に勤めだした。

仕事の課題は結構大変で無理難題が多かったけれど、

徹夜してでも提出期限は守っていた。

子供の頃遊びほうけていたからと言って、

大人になってもそのままとは限らないという事だ。

ただ、期限が迫り、切羽詰ってからでないと、

体が言う事を利かないという性格は、一向に変わらない。

絶対なんてない。

絶対にこうだと言い切る人がたまにいて、絶対なんてないよと反論する人がいる。

絶対なんてないってことを経験したことのある人はどれぐらいいるだろう。

昔の上司に、絶対なんてないということの例として、

信じられないような実話を聞かされたことが有る。

そして自分自身も経験させられたことがある。

物理的にありえない現象が、人間の勘違いや思い違いやミスで結構起こっている。

間違いなく検査して、検査結果も記されていて、

実物にも取り付けるべき部品が全て取り付けられていて、

何処にも間違いが無いのに、まともに機能しないということがあった。

再検査しても、異常なく動作しているのに、機能を果たさない。

検査では、風速計で風速測定し規定範囲内だから合格だったのだが、

実はファンモーターが、モーター内部の誤配線で逆回転していたのだが

風速計では風の向きが逆であっても、ちゃんと規定の風速として感知されるため、

検査合格していた。

絶対に入り込めるはずが無い場所にゴミが入って故障、

絶対に入り込めないのは完成後であって、

完成前なら入り込む余地があるのが本当だ、

だから絶対なんてない。

物理的にありえない状態を作り出すのも人間だから、

人間が作り出した状況というものには、

間違いが有る可能性はゼロにはならないから、

絶対とは言えない。

そして、絶対は絶対無いとも言えない。

なんか矛盾してるかな。

オンリーワンはナンバーワン。

ナンバーワンにはならなくても良い、ナンバーワンよりオンリーワンという歌詞があるが、

ちょっと待てよと思う。

オンリーワンという事は、ナンバーワンでは無いのか。

例えば、10人の仲間の中で、ピアノを弾ける人が2人いたら、

ピアノが弾けるオンリーワンに成る為には、

もう一人のピアノを弾ける人を消し去るしかないし、

もし消し去っても、別の誰かがピアノを弾けるようになったら、

またオンリーワンではなくなってしまう。

だから、一番ピアノが上手いではダメで、飛びぬけて上手いにならないと、

他の人からはオンリーワンとは認められないだろう。

ピアノが弾けるナンバーワンにならば、相手より上手ければよいだけだ。

勿論、歌の中のオンリーワンは、同じ人はいないという意味の事だろう。

だけど、それならば何もしなくても、みんなオンリーワンだ。

ナンバーワンと比較する意味がなくなってしまう。

だから、他の人から唯一と認められる人の事と考えるべきだろう。

人からオンリーワンと認められるのは、

何かでナンバーワンの人だけだろうと思う。

だから、オンリーワンはナンバーワンでもある事になり、

単なるナンバーワンになるより難しい様に思う。

汚職指数

「世界各国の汚職を監視している非政府組織(NGO)トランスペアレンシー・インターナショナルは

17日、09年版「汚職指数」を発表した。日本の「清潔度」は180カ国・地域のうち17位。」

このニュースを聞いたとき、日本は世界ワースト17位かと思ってしまった。

17番目に汚職が少ない国と言うことだったのに少し驚いてしまった。

日本で汚職が少ない理由を少し考えてみた。

役人の立場、特に下っ端の役人の立場では、金より大事なものが沢山あるように思う。

少しの賄賂を取って首になるよりは、真面目に働いてというより、

市民からけなされない様に働いた方が得だから。

或は、正義感。賄賂と言う利益より、

自分の正義感とか倫理観を失わない事の方が大事と言う人が多いだろうと思う。

中流役人程度まではそうだろうけれど、

上級役人は場合によっては汚職に手を染めた方が得と思うぐらいに、

賄賂の金額も多くなるかもしれない。

だから、日本はなかなか1位にはなれないだろう。

政治家のように市民からの監視が厳しい場合は、自重するかもしれないが、

権力の為に金を欲しがる人も多いのかもしれない。

だから、政治資金規正法に違反する政治家がいる。

市民をよほどなめているのだろうと思うが、

なめられるような投票行動を取り続けているから仕方ない気もする。

いずれにしろ裕福な国ほど、金より大事なものが増えて、

自然と汚職も減っていくと言う事はあるのかもしれない。

だとすると、不景気は汚職を増やすかもしれない。

ちなみに、「1位はニュージーランドで9・4点、2位が9・3点のデンマーク、

3位はともに9・2点のシンガポールとスウェーデン。

日本は7・7点。米国は19位で7・5点、中国は79位で3・6点。

最下位はソマリア(1・1点)、179位はアフガニスタン(1・3点)だった。(共同)」

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本当にありがとう御座います、嬉しく思っております。

返信とか苦手で、してないですが、大変ありがたく思っておりますので、

今後とも宜しくお願いいたします。

紅葉の季節に満開の花。

またまた、新宿御苑に行ってきた。

菊花壇展が開催されているので見学に行ったのだが、

普段入れない菊の栽培場が公開されていたり、

新宿御苑旧洋館御休所(重要文化財)の特別公開があり、

見所がいろいろとあった。

冬桜を探していたら、10月桜がまだ咲いていたり、

日本水仙が花開いていたり、紅葉はまだ見ごろには早いけれど、

一部風情のある紅葉風景もありで、結構楽しめるものだった。


先日テレビ番組で、秋に桜を満開咲かせられるかという実験をやっていて、

結果僅か2輪しか咲かせられなかったのを、

秋に満開に咲く桜ならば東京にあるのに何やってんだと思いながら見ていた。

まだ咲いているかと思い、以前見た場所に行ってみた。

1本だけだけど、そこそこ満開。<写真は全てクリックすると拡大します>
さくらさくら2

菊の花々。
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菊栽培場の試作の菊。
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菊の畑。
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水仙。
水仙

紅葉。
紅葉紅葉2

一旦帰宅してから買い物に出かけて、

御苑の散歩約8000歩と合わせ合計1万歩以上歩いた。

久しぶりにしっかり歩いて体力回復できたかなと思うのだが、

なぜか腰や肩の痛みは酷くなった気がする。



新宿御苑とは関係ないけれど、
中川沿いにある東立石緑地公園から見た建設中のスカイツリー。
スカイツリースカイツリー2
高さ200メートルを超えたらしい、かなり離れた場所からも見えるようになった、
完成すると約3倍の高さになる。

ある夕方の空腹の時

キッチンからパンの焼けるにおいがする。

2時間ほど前から、ぬるま湯に砂糖を溶かし、ドライイーストを入れて

予備発酵させるところから取り掛かり、パン用の小麦粉を加え、

練り上げて一次発酵、ガス抜きして細長く整形し二次発酵させて、

焼き始めて10分くらい。

パンがとても美味しく焼きあがる事を祈りながら、この文章を書き始めた。

パンの良い匂いが漂い始めて、気持ちはうろつき始める。

2時間ほど前に、空腹で何か食べようと考えて、パンを焼こうと思いついたのだから、

とてもお腹がすいている。

今まで、数年に一度自分でパンを作ろうと思い立ち、

まあまあ食べられる物が出来ると満足して終わっていた。

小麦粉の種類でパンの出来が違ってくる事は理解していても、

どんな小麦粉が向いているのかも知らずに焼いていた。

パンに向いた小麦粉があると分かっていながら、調べようとせず、

勘でこれでよいだろうと思ってやっていた。

数十日前に適当な小麦粉でパンを作り、やはりまあまあの出来であったのだが、

もしかしたら小麦粉の種類を、

パン用のものだけにしたらもっと上手く出来るのではと思いついた。

そこで、パン用の小麦粉、普通の小麦粉より高い物を買い置きした。

なので、今回はパン用の小麦粉、

パッケージにパン用と書いてある物だけを使用して作ることにした。


仕上がったパンは、細長いベーグルになった。

味も香りも食感も、形以外はベーグルに近い物が焼きあがった。

美味かった。

もう少し量を作っても良かったのにと思った。

そして、本当に作りたいパンは、フランスパンなのにと思う。

どうしてもそれらしいパンにはならない。

材料の違いなのだろうか。

やはり、もっといろいろ調べてから着手すべきなのだろうか。

苦手なもの。

納豆が苦手だ。

6年くらい前に、臭わない納豆3個パックを購入して、食べてみたが、

すごく不味くは無いけれど、美味くないし、あの糸が邪魔で食べ難いし、

これでにおいが好くないなら食べたくないものだと思った。

なので、まだ普通に、においのする納豆は食べた事が無い。

また、必要が無かったのでにおった事も無い。

栄養はあると言うのは認識しているし、体に良いのだろうとも思うのだけれど、

私にとっては、おかずにならない食べ物で、美味しくなくて、

ご飯のおかずにはならず、食べにくい納豆をあえて食べるより、

食後にサプリメントを飲んだほうがマシに思える。

でも、テレビでタレントが美味しそうに納豆を食べているのを見ると、

もしかして、臭う納豆は美味いのかと思い、

もう一度チャレンジしてみようかと、時々思う。

思うだけで、スーパーで納豆を見ても、

一向に買う気にならない。

眠かった、ある日。

ある日の電車内の変な人達、

女子社員と別の会社の男子社員の会話。

女子社員が、上司から粉飾決算を言いつけられて、

やらない方が良いですよねと男子社員に相談している。

黒字決算にしたいみたいで、

赤字だとかっこ悪いからみたいだという理由だと言い、

それに対し男子社員が、信用問題とか、

借金したいからじゃないかと言うと、

そうではないという。

儲かっていないし赤字なのだけれど、黒字にして

税金も払うと社長は言っていると言う女子社員。

そばにいる私が聞いていても気にしないで話している。

粉飾決算を経理担当者としてやろうとしているという話を、

赤の他人の私に聞かれても、

確かに赤の他人だから大丈夫かもしれないけれど、

知り合いの男子社員に聞かせるのは良いのだろうか。

会社の秘密を外でべらべら喋る、

この女子社員を経理担当にしている

会社の上司とか社長とかは、

信用しているのにこんな所で裏切られている事を知ったらどうなるだろう。

それにしてもこの女子社員の会社の経営者は、

何を目的に粉飾決算しようとしているのだろうか、

とても気になる。

2020年オリンピック。

長崎・広島オリンピック開催について、費用などの問題があるから、

地元の人はすんなりとは賛成できないだろう。

また、核廃絶とオリンピックに関係性が見えないから反対する人もいるだろう。

でも、核兵器廃絶は世界平和が成って始めて達成されるものと思う。

世界平和とオリンピックは関係性が強いもの。

もともと、近代オリンピックは古代の平和の祭典を復活させたものだから、

スポーツの祭典の前に、平和の祭典であるから、世界平和を目指す事は、

まさにオリンピックの目的そのものだ。

問題の、誘致のための費用。

150億ぐらい、へでもない東京が出してはどうか、などと考えた。

海外から来る人は、日本のハブ空港羽田を経由するだろうから。

そして、オリンピックの経済効果の恩恵を受ける企業の、

本社が集中する東京の、税収が増えるのだろうから。

しかし、先日「五輪の夢破れ赤字の危機、都と招致委10億不足」

と報じられた。

都知事はへでもないみたいだけれど、

現実は東京都ですら資金不足だったようだ。

ただ、150億円の大半95億円が、国内での招致機運の盛り上げ費だ。

やはり、地元市民が希望し、国民の意識が高まらなければ、

オリンピック招致など考えるべきでは無いのだろう。

最近思ったことなど3。

暫らくIE8を使っていたが、IE7に戻した。

戻し方は簡単だった、

コントロールパネル→プログラムの追加と削除→IE8削除で、IE7に戻った。

IE8はセキュリティーアップに動作速度アップとされていたが、

動作は遅くなったし、フリーズするし。

なぜかIE以外も動作がおかしくなった気がする。

マイクロソフトは自分たちのパソコンで動作確認しないのだろうか。

まさか、顧客のパソコンで動作テストしてるのかな、

でなければこんなソフトでバージョンアップなどと言わないだろう。



JR西の幹部たちは、やはり、

会社の為に事故調査委員会と接触を謀ったと言いているようだ。

正確な事故調査結果、正しい原因究明がなされる事こそが、

会社の為になる事だから、会社に対しても裏切り行為ではないかと思う。

つまり、自身の責任逃れの為だけに動いており、

経営者としての資質として完全に失格なのだと思う。



年金の一元化、

完成形の姿は分かりやすくすっきりしたものが想像されていると思うが、

単純に法律で何とかなるとは思えない。

もともとの金の出所が違っているものを統合するとなると、

かなり法律上の問題がありそうだ。

個人が支払って積み立てた金、企業が支払った金、

地方自治体が支払った金、国が支払った金、税金。

例えば日本航空の退職者の年金額の減額についてさえ、

受け取っている退職者は、支払済みのお金から年金を受け取っているのだから、

減額するというのはおかしいと言っている。


昨日の新宿御苑の桜、
桜3桜1桜4
秋の桜だけれど、秋桜ではなく10月桜。

そして、昨日のバラ、
バラ1バラ2バラ5
バラ3バラ4
10月24日25日は、「新宿御苑のバラを作る人と語るガイドウォーク」がある。

11月の新宿御苑は、菊花壇展(1日~15日)が楽しみ。

「赤ん坊の頃の想い出」-2

父との良い思いでも、あるはずなのに。

なぜ今、忘れ去ってしまっているのだろう。

何時頃からか、酒に酔って暴れる怖い父親のイメージしか思い浮かばなくなっていた。

しかし、よくよく考えてみれば、自分がまだ幼い頃には、父は真面目な会社員で、

父の帰宅を楽しみに待っていた時期もあったはずなのだ。

叔母さん、父の妹から聞く話では、父は子煩悩だったし、

赤ん坊の私をとても可愛がっていたらしい。

そんな父がなぜアルコール依存症になったのだろうと思う。

よほど辛い何かがあったのではないかと考えてみる。

たしか、父が二十歳の年に終戦を迎えたのだ、

父の青春時代は辛い時代だったはずだ。

軍隊にも入っていたらしいが詳しい話は聞かずじまいだった。

父と、父の兄弟が疎開していた話や、

母は家が貧しくて、母の父親が戦死してからは、

母の母親を助けて幼い兄弟を養っていた話などは、聞いたことがある。

けれども、戦争そのものの話や、父が軍隊でどの様に過ごしていたかは、

聞いたことが無かった。

叔母から父は、軍隊で飲めない酒を無理やり飲まされたという話を

聞いたことがあったが、軍隊の話はそれだけで、それ以外は聞いた事が無かった。

きっと、とても辛い思い出だったのではないかと思う。

とても自分の子供には話したくないと思う経験だったのではないか。

そう考えた時が、父を嫌う気持ちがすこし和らいだ瞬間だった。

告別式後の挨拶は滞りなく済ませることが出来た。

我ながら良い話が出来たと思う。

自分にもし子供がいたならば、どう思われるだろう。

甥っ子が高校時代には、まだ叔父である私との良い想い出はある様子だった。

大学を卒業した現在はどうなのだろう。

人の想い出なんて、曖昧なものなのだろう、

ある筈のない赤ん坊の時の想い出がありながら、

父との幼い時の良い想い出は、なくなってしまっているのだから。

-END-

「赤ん坊の頃の想い出」-1 

あるわけないと思うのだけれど、赤ん坊の頃、

誰かにベビーパウダーを付けてもらった記憶がある。

たぶん、子供の頃あせもがひどくて、夜、風呂上りに付けてもらっていた記憶と、

従兄弟か誰か赤ん坊が、母親にベビーパウダーを付けてもらっている姿の、

記憶が混ざって、そんな記憶になったのではないかと思う。

私が大人になった頃には、私の父はアルコール依存症で何度目かの入院中だった。

その頃の父親の記憶は、とにかく良いものがひとつもなかった。

怒って暴れる父親の姿ばかりが印象に残っていて、

父親にかわいがられたという記憶が消し飛んでいた。

父親に直接叱られた思い出は少ないけれど、父親を怖がっていた記憶がたくさんある。

父親が家から居なくなれば良いのにとずっと思っていた。

数年前、その父が他界した。

母はすでに他界していたので、長男の私が喪主を務めることになった。

通夜も終わり明日は告別式という時に、

葬儀屋さんから告別式後に喪主の挨拶がありますが、どうしますかと尋ねられた。

喪主が挨拶するのが普通だが、親族代表が挨拶する場合もあるので、

どうしますかと尋ねられたようだった。

父方の親族で、今まで代表といえば父親の兄だったのだが、

その父親の兄も先月亡くなったばかりで、

親族代表として代わりに挨拶してくれる人など思いつかなかった。

父親に対して良い想い出のない私が、

なんとしても挨拶しなければならなくて、困ってしまった。

告別式の挨拶だから、故人となった父の悪口など言えるはずがないし、

かといって褒めるところも思いつきそうにない。

しかし、何か話さねばならないから、改めて父親の記憶を思い返してみた。

自分が幼かった頃の事を思い返してみる。

確かに父に遊んでもらったはずだし、考えてみると父のひざの上に座り、

笑っていた自分がいたはずなのだ。

上司とか空港とか、

大阪府知事が、府の職員とのメールのやりとりで、

「上司に対する物言いとして非常識。民間ならあり得ない」

と怒りをぶちまけたが、

民間企業で、社長に対する部下の物言いが丁寧なのは、

民間企業の社長が、部下から尊敬されているからだろう。

人から馬鹿にされる行いの社長に対しては、

民間企業の社員だって、それなりの物言いをしていると思う。

まずは、部下から尊敬される物言いを、自らされるべきだと思う。

そして、民間ならばと言うけれど、

空港に対する考え方などは、お役所仕事的発想に思える。

民間ならばまず利用者の事を考える。

関空と大阪市内を高速リニアで結んで便利にと言うが、

それよりはるかに少ない投資で、伊丹からの交通の便を良くできる。

そして、大きな荷物を抱えた人は、タクシーで移動したいと考えるだろう。

タクシー代は、伊丹から大阪梅田までは5000円程度に対し、

関空からでは15000円、そして神戸空港からでも13000円程度だ。

神戸空港から神戸三宮までならタクシー代は3000円程度。

大阪市・神戸市・京都市の関西3都市にとっては、

伊丹、神戸空港が便利で、

関空はいずれの都市からも不便な場所だ。

以前、東京から関空に到着し目的地まで向おうとしたら、

空港連絡橋が強風で通行止めだった事がある。

飛行機は欠航していないのに、空港から出られなくて、

1時間以上後の伊丹行きの便の方が速く到着できたという事がある。

目的地は関空に近い堺市だったのに。

空港利用者の事を考えれば、

伊丹をメインに、関空と神戸を補助的に考える方が良いと思う。

利用客の事を考えるということが、

利用者を増やし収益改善に向う唯一の道なのだろうから。

オリンピック。

オリンピックの東京での開催には反対だったから、

東京が落選して良かったと言うか、ホッとした。

ホッとしただけで、誰かの責任とか無駄な事をしたとか何とかは一切思わないようにした。

無駄な事をした人達が一番がっかりしただろうから、それ以上責める必要は無いと感じた。

東京での開催に意義も意味も感じないし、

オリンピックと環境問題は方向とか趣旨とかがずれていると感じるから、

そして、東京と言う場所は、生活の場=生きる場所、仕事の場所、遊ぶ場所として

確立している場所であって、大きなお祭りをして生活を乱すのは違うと感じるから、

反対だった。

一方、広島・長崎が2020年の夏季オリンピック招致に乗り出す事があきらかになった。

オリンピックは平和の祭典と言う趣旨があったと思う。

その意味で広島・長崎でのオリンピック開催には、東京には無かった或は弱かった、

開催意義があると感じる。

核兵器廃絶へのシンボル的な大会に出来るのであれば、

ぜひとも目指してもらいたいから、2016年の招致に失敗した東京や、

2008年招致に失敗した大阪は、邪魔をしないで、

自分たちの経験を活かして、応援してもらいたいものだと思う。

 

最近思ったことなど2。

民主党のマニフェストに書かれている内容について、

野党時代の民主党がどれだけ勉強し、どれだけの人の意見を聞き、

どれだけ考えて出した内容なのかが見えないから不安だ。

与党として長くやって来た政権の政策でさえ、

その内容決定が、どの様になされたかが見えないと不安視される。

政権をとったばかりの与党民主党が進めようとしている政策が、

どれだけしっかりと検討された結果でてきたものなのかが、

ほとんど見えていないから、とても不安を感じる。

CO2削減目標25パーセントも、どれだけの人の意見や情報を集めた結果として、

出てきた数字なのかが見えていない以上、不安でない方が、

考えの甘い人だと言えないだろうか。

民主党には、きちんといろいろな人の意見を聞いて

判断しているのだという事を見せて欲しい。

政治家主導と言うけれど、政治家はあらゆる事象の専門家と言うわけではない。

むしろ専門外の人達だから、いろいろな人の意見をまとめる事の専門家であっても、

技術的なこととかの専門家ではないのだから、政治家が物事を指導するのは、

あくまでもいろいろな立場の人の意見を聞いた判断で無ければならないはずだと思う。




台風の被害、3200円。

台風の影響による強風で、電車が止まったせいで、観に行けなかった芝居の、

チケット代金3200円、前売り3800円を特別割引で3200円で購入した。

台風が最接近した朝からずっと運休していたのなら許せるけれど、

台風が通り過ぎた昼過ぎになってから、運休するのは納得がいかない。

家を出る前に、ネットで運転状況を確認し、運休していなかったのに、

駅に到着して、改札内に入ってから、運休していると知った。

これも、自然災害による被害と言う事になるのだろうか。

だけど、何となく人災のような気がするから、諦めがつきにくい。



最近思ったことなど。

時々思う事として、大臣とか閣僚とか言われる人の発言は、

影響力が大きいのだから、知らない事や、よく解っていない事を、

マスコミなどの意見に同調して発言し、悪影響を振りまく行為を、

罰することはできないのだろうか。

大臣になったからといって、知識が急に増えるわけでも、

理解力がアップするわけでもないだろう。

マスコミに責められて、早く何か意見を言わなければならないからといって、

自分が分かっていない事まで、意見を述べるべきじゃないだろうと思う。

発言が間違っていれば結果、沢山の人が間違った動きをして、

沢山の人が被害に会うのだから。

大臣には、知らない事分からない事は、知りませんわかりません、

勉強中です勉強しますと言わせてあげた方が、

自分たちの身の安全のためだと思う。

例えばインフルエンザ対策について、

大臣たちは医者でも医療の研究者でもないのだから、正しい意見を述べる為には、

医者や医学者、薬品会社などの意見を聞いて取りまとめる必要があり、

良く分かっていない状況で、急いで発言すべきでないと思う。

中小企業対策についてのごたごたもそうだ。

中小企業って、そのかなりの部分が個人商店とか、飲食店だろうけれど、

中小企業=下請けの町工場のイメージで考えられているような気がするし、

どうも金は借りた方より、貸した方が悪者と言う発想があるようで嫌だ。

中小企業と個人や消費者=善で、大企業=悪という感があるようにも思う。

特保の「エコナ」に対する消費者庁の大臣の発言も、ばかばかしく感じた。

メーカーがすでに出荷停止をしている物のなのに、11月に食品安全委員会で、

安全確認の結果が出るという話しになっているのに、9月の末に、

一週間以内に特保認定の取り消しも含めて行政の対応を決めると言っていた。

すでに販売していないものを、急いで特保指定から外す事に何の意味があるのだろう。

メーカーはとっくに対応済みなのに、そんなメーカーを悪者あつかいして政府が騒ぎ、

不要な被害を生み出す。

O157とカイワレ事件のときと同じように。

そんなことが消費者庁の存在意義だと言えるのだろうか。


「無敵なヤツ」は実は、

「無敵なヤツ」この話は、無敵なヤツがいれば、

戦争を無くせるのではないかと考えて、書き始めた。

戦争好きの指導者をとっ捕まえて、戦争を止めさせる。

無敵なヤツになら出来るだろうと考えた。

書き進めるうちに、少しずつ思ったように話が進まなくなる。

そして、無敵なんだけれど、逃げ回る事になる。

戦争をする人達が、話など聞くはずが無いとか、

無敵なのはヤツだけだから、ヤツが誰も傷つけたくないのなら、

無敵だけれど無力かもしれないと思い始めた。

結局無敵なヤツは、役立たずなヤツで終わる話しになってしまった。

平和をもたらすのは、武器を捨てさせる事ではなく、

戦う必要をなくす事しかないのかなと思った。

問題は戦争そのものではなく、その原因とか理由の方だから、

原因を取り除かなければ戦争はなくせないだろう。

なのに戦争を止めろとだけ叫んでも無意味だし、きっとうるさいだけだ。

無敵なヤツは、そんなうるさいだけの平和主義者のような存在に思えてきた。

妄想癖。

最近物語を書いていると、時々楽しくなってくる。

絵が好きな人が、絵を書いていて楽しいというのと同じような感覚ではないかと、

ふと思った。

自分の頭の中にある妄想とか、思考とか、感情とかを、

絵が好きな人は絵にするし、音楽が好きな人は音にする様に、

物語好きの私は、文章にする。

だから、決してお金を稼ぐ事が目的ではないと、自分に言い訳する。

出来ればお金も稼ぎたい。

絵が好きな人は画家になりたいだろうし、音楽好きは音楽家になりたいだろう。

それと同じで作家になりたいと思うのは自然な事と思う。

才能のある無しは関係ないのだと、好きな事で稼ぎたいだけだという気持ちだ。

昔から、いろいろと妄想するのは好きだった。

妄想した事を何かで残したいとは思っていた。

しかし、最近まで妄想を書き出しても、物語にならなかった。

物語の背景説明文で終わったり、主人公の特徴の説明だったり、

気持ちの表現だけで、そこから物語に仕上げる方法が分からなくて、

短いショートショートの作品さえ書ききれなかった。

それが、長年の修行の成果か、

最近やっと何とか物語らしきものが書ける様になったと思っている。

まだまだ修行不足と言われるかもしれないけれど。

書き出すとづぎづき書きたくなる。

そして、自分の中の妄想を書くことで吐き出し、

吐き出す事で新たな妄想が生まれる事に気付いた。

妄想は吐き出さないと、自分の頭の中でいつまでもぐるぐると回り続けて、疲れてしまう。

文書にして書き出してしまうと、頭の中をぐるぐる回るのが止まり、

すっきりして、次のことが考えやすくなる。



 

恐怖症3.

昔は、作文恐怖症だった。

小・中学校の頃一度も作文を提出した事が無い。

授業中に書く場合も、宿題で書く場合もだ。

そして、作文の宿題でなくても、何かの意見とかでも、

文書を書いて提出できた記憶が無い。

授業中に書かされる場合は、授業中何も書かない訳にいかないから、

数行は書いた覚えはあるが、その後が書けずに宿題になり、

そのまま教師が忘れてくれるまで我慢強く、提出を拒否し続けた。

作文を提出しなかった理由はいろいろあると思う。

何を書いて良いか分からなかった。

字が下手で汚かったから恥ずかしかった。

自分の考えを知られるのが恥ずかしかった。

漢字が苦手だから、漢字の間違いや簡単な漢字が分からない事の恥ずかしさ。

何より教師が信用できなかった、必死で書いても馬鹿にされるだけだと思った。

実際出来ない生徒を馬鹿にしているような教師ばかりだった気がする。

子供の頃作文は恐怖の対象だった。

大人になり、仕事で日報とか週報とか、毎日毎週自分がどんな仕事をしたかを、

文書で報告しなければならなくなった。

報告しなければ、叱られるし出世も出来ないから、辞書を片手に何とか書き始めた。

出張すると出張報告書、講習会を受講すればその報告書を提出しないと、

経費が下りなかったりして、何とか書くようになった。

そして、パソコン・ワープロが普及し、報告書などは手書きから、

全てワープロになり、字の汚さや、漢字の間違いに恥ずかしい思いをしなくて良くなった。

そして、文章を書く事に慣れると、取引先との定例会議で、会議録など速記で手書きして、

その場で承認のサインをもらいコピーして互いに持ち帰るという、

以前なら恥ずかしくて出来るはずの無かった事まで出来るようになり、

作文恐怖症は克服できたみたいだ。



恐怖症2.

鉄棒で一番簡単なはずの前回り恐怖症だ。

小学校の2年生ぐらいの時には前回りが出来て、

鉄棒のテストはそのとき合格したので、

授業で前回りをしなければならない場面に遭遇する事はなくなったのだが、

いつも小学校の頃は、前回りをやらされたらどうしようと怖がっていた。

小学校の2年のある日の昼休み、鉄棒の自主練習中に、

前回りで一番手を離してはいけないときに、

体が完全に鉄棒の真下に有って、手の力で鉄棒にぶら下がっている瞬間に、

ふと、手の力を抜いたらどうなるのだろうと思ってしまった様に思う。

突然手の力が抜けて、手を離し、地面に背中から落下して、

むちゃくちゃ痛くて、でも1人だから泣かないで、地味に教室に戻った覚えがある。

ただし、小学校の2年生だったのかどうか、

昼休みだったのかどうかは、記憶があいまいだ。

それ以来鉄棒で前回りが出来なくなった。

その後、鉄棒の授業では、逆上がりになったので、

何度か練習して、逆上がりは出来るようになったし、

その後の小学校の授業での鉄棒は何とかこなしたが、

今もたぶん前回りは出来ない。

やらされる事もないけれど。

もっとも、今は肩が痛くて、ぶら下がるだけで精一杯で、

逆上がりなどとんでもない状態だ。



恐怖症。

高所恐怖症です。

かなり怖がりです。

だけど、負けん気も強くて、

何度も高い所に挑戦しました。

子供の頃は、木登りとか、崖登りとか、

さらに、屋根からの飛び降りにも挑戦しました。

高所恐怖症だけど、

平屋の建物の屋根ぐらいの高さは大丈夫です。

平屋の建物の屋根から何度も飛び降りたので、

飛び降りられる高さという感じが記憶されたのでしょう、

2メーターちょっとの高さまでなら平気になりました。

しかし、それを超えてたぶん3メーターくらいになると、

とてつもなく恐怖します。

2階のベランダは怖くないのに、

3階のベランダは怖くて足がすくみ、

動けなくなったりします。

高所恐怖症だったから、高いところに登りたがり、

しかし登れずに、恐怖を募らせて、その恐怖に打ち勝とうとして、

再び高いところに挑戦し、途中で恐怖で動けなくなり、

さらに恐怖を募らせて、

より高所恐怖症になって行ったような気がする。

昔は仕事で高い所に登らなければならなくて、

泣きそうになったことがある。

泣かなかったけれど。

最近はそんな仕事はないので助かる。


政権交代。

選挙期間中の、ある政党のテレビCMの言葉が嫌いだった。

「まず、政権交代。」

政権交代は方法でしかない、目的ではない。

政権交代などどうでもよい、それは政治家の目標だろうと思う。

政権が変わる事ではない、世の中が良くなる事を望んでいる。

良くなるという事が、どういうことかが意見が分かれ、

政治家を選ぶ基準や理由が変わるのだと思う。

投票では、世の中をどのようにしたいと思っているのか、

それによって政治家を選びたいのに、

政治家は自分の信念すら正直に語ろうとしないし、

ましてや我々が望む事ですらない事を、最も重要な目標のように、

「まず、政権交代。」だなんて、

国民の事ではなく自分たちのことを優先している証拠に思える。

政権交代する事になりそうだけど、まだ交代したわけではないから、

交代したとは言うべきじゃない気がするので、あえてなりそうと言うが、

衆議院は安定過半数を獲得している民主党だけど、

参議院は過半数に達していない。

民主党単独でも予算などは可決成立できるけれど、

その他いろいろな法律を可決するには、

別のどこかの政党か無所属の人に賛成してもらう必要がある。

その為に少人数の政党が、大きな権力を持つかもしれないのが、

何となく嫌だ。

せっかく政権交代するのだから、思ったとおりの政策を実現してもらいたい。

小さな政党の顔色を伺いながら、中途半端で終わって欲しくは無い。



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