fc2ブログ

「散歩の神様Ⅳ」-1 

電車に乗っている。

右隣には父がいて、左隣は席が無く壁があり、

壁の向こうは乗降口で知らない人が立っている。

私は父のわき腹というか胸の横に頭をつけてもたれかかっていて、

父の左手が私の肩のあたりで私をかばうように浮いている。

右斜め上には微笑む父の顔があり、

私は何も恐れるものも無く、

向かいに座る変な小父さんや小母さんの顔を眺めている。

たまにしか会えない父と会い、食事をして、買い物して、

父とでしか行けないゲーセンで、クレーンゲームを楽しみ、

いよいよ家に帰るところだ。

駅には母が迎えに来ていて、父とは駅でお別れしなくてはいけない。

だから今、電車の中で父に思う存分甘えている。

しっかりともたれかかっている。

そんな記憶がよみがえった後、今度は母と電車に乗っていたときの事を思い出した。

父との思い出が小学校の4年生ぐらい、

今思い出している母との思い出は、6年生の時のもの、

2年ほど前のものだ。

7人がけの長い座席の真ん中に私が座り、左には知らない人が入れ替わりに座り、

右隣には母が荷物を抱えて座っている。

私は、買ってもらったコミックの単行本を読んでいて、

時々周りの人を見回して、警戒を怠らなかった。

小さな子供が座っていても文句は言われないけれど、

ある程度の年齢の子供は、お年寄りから目の敵にされているという、

被害妄想があった。

若い人は、混んでいる電車で、席に座っていても、

お年寄りが近づいてくれば、いち早く席を譲るのが、当然の掟。

席を譲らない若者には、社会のくずのレッテルを貼られる。

そんな、強迫観念があった。

電車内は一時的に混む事はあっても、

直ぐに空いて車内のほとんどの人が座席に座れていたけれど、

座席は常に人で埋まっていたから、いつお年寄りがやってくるかと気が気でなかった。

そして、読んでいるコミックを変な目で見ている小父さんと小母さんが向いの席に居て、

気になっていた。

それでも、母と乗っている電車は平和で、母は眠ってはいないけれど、

じっと目をつぶり、隣にいる私に何となく安心感を贈ってくれていた。

この思い出の時も、帰宅途中であり、

そして、母と電車に乗った最後の時だった。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

フリーエリア
カレンダー
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
リンク
最新記事
カテゴリ
最新コメント
検索フォーム
QRコード
QRコード